『ヤヴァナジャータカ』(ギリシャ人の出生占星術)は紀元後のギリシャとインドの二つの文明の交流の証拠となる重要な文献である.このテキストは19世紀末から文献学者に知られていたが,校訂本は1978年にピングリーによってはじめて出版された.その後,シュクラ(1989)とファルク(2001)がピングリーの校訂及びその解釈の様々な誤りを指摘したが,全体的にテキストについての研究は進んでいなかった.2012年に新しいネパール写本が発見されたのをきっかけとして筆者は『ヤヴァナジャータカ』が紀元後149/150年にアレクサンドリアでヤヴァネーシュヴァラという人物がギリシャ語で創作した作品を,紀元後269/270年にギリシャ人のスプジドヴァジャが韻文化したという「ピングリー説」を批判した.本稿は今までの様々な発見をまとめ,ピングリー版の誤読を訂正し,脱文を埋め,『ヤヴァナジャータカ』の歴史的な位置を再考する試みである.